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ルターとユダヤ人虐殺の歴史

記事より
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉をご存知の方も多いと思う。この言葉をいったのは、宗教改革で有名なマルティン・ルター。
宗教改革の旗手ということでルターは人格者であると思われがちであるが、ルターには暗い一面もあった。熱心なキリスト教修道士であったルターは、誰よりも異教徒を憎んだ男でもあったのだ。
中世キリスト教史の汚点として「魔女狩り」や「異端審問所」があるが、これらに対してルターは烈火のごとく怒ったのである。
「手ぬるい!」と…。

旧教(カトリック)に対し新教(プロテスタント)を起こしたルターは、積極的に魔女狩りを行い、数多くの無実の人々を殺した男でもあるのだ。
魔女だけではない。若い頃のルターは、ユダヤ人に対して、比較的寛容であったが、やがてユダヤ人たちが頑としてキリスト教に改宗しようとしないことに業を煮やし「ユダヤ人強制収容所」「ユダヤ人の旅行と金融業の禁止」「ラビによる教育の禁止」「タルムードの没収」「ユダヤ人の追放」「ユダヤ人の強制労働」などを実行した。
ルターいわく
「ユダヤ人は、元々流浪の民なのだから、本来一文無しのはずだ。彼らが所有するものはすべてもとはわれわれの財産だったのだ」(定方晟著 洋泉社刊『憎悪の宗教』より引用)

宗教家とも思えない言葉だが、元々キリスト教には、イエス・キリストを処刑したユダヤ人対する憎悪の念があり、ユダヤ人や異教徒を攻撃しても良いとする教えがあった。イエスをはじめキリスト教の礎となったパウロや12使徒自身がユダヤ人であったにもかかわらずだ。
このルターによるユダヤ人迫害を見習ったのが、ナチス・ドイツである。キリスト教徒によるユダヤ人への迫害が、もっともひどく、大掛かりに行われたのが、ナチス・ドイツの「ホロコースト」や「アウシュビッツ事件」であった。

(略)

宗教は万人を救う一方で、一つ間違えば大変な悲劇を生むという一つの例であろう。おそらく人類にとって宗教は不可欠なものであろうから、今後の人類は宗教を平和利用して欲しいものだと願ってやまない。



改革者ってか・・・